一口を、一夜を、毎日を。
あなたの日々を照らし
寄り添うお酒でありたい。
長谷川酒造は、新潟県長岡市 摂田屋にある小さな酒蔵です。酒造りにめぐまれた環境のなか、機械に頼らない手作業にこだわり、お食事や宴との調和を大切した酒を醸しながら、約180年という年月の間、地域に愛され、人に支えられながら数々の困難を乗り越えてきました。
古からの微生物がいまも息づくこの蔵と、美しい風土が生み出す酒をまもることは、わたしたちが担う、未来への責任でもあります。
ただ、この酒を含んだあなたの一口が、一夜が、毎日が、ほのかにあたたかく照らされるように。そしてそんな美しい日々がずっとつづくように。わたしたちはこれからも、皆様の心に寄り添そうお酒を醸し続けたいと思っています。
蔵の息吹き
わたしたちの蔵が歴史の記録に登場するのは、江戸・天保時代のこと。飢饉により各地で厳しい倹約令が出ているなか、ここ摂田屋の酒蔵は「お神酒づくり」の名目で酒づくりが許されてきました。その五軒のうちの一軒が長谷川酒造です。天保13(1842)年、百姓であった祖先・重吉が、酒造りと残酒の商いを江戸幕府直轄の役所に願い上げ、認可されたという書物が残っています。
国の登録有形文化財にも指定されている母屋は明治19(1886)年に、醸造蔵は大正8(1919)年に建てられたもので、新潟県中越地震で一部が倒壊したものの、多くはその姿とはたらきを、そのまま残しています。
ただ一度きり。
ゆらぎのある酒づくり
長谷川酒造の酒は、ほとんどすべての工程を手づくりで行います。杜氏、蔵人たちは、その年採れた米の魅力を最大限に引き出すため、敏感に季節の変化を感じ取り、知恵と勘を絞り出して酒を醸していきます。
だからこそ、同じ気候の年が一度もないように、酒の味も年ごとにゆらぎます。この蔵には、その年にしか生まれえない、ただ一度きりの酒が息吹くのです。
日本酒という
美しい文化を架け橋に
長谷川酒造の祖先は、信州(長野)から移り住み、この地を開墾した若衆だと伝えられています。屋号が「信州屋」と言われるのもそれゆえ。今も蔵の西側には信州・諏訪大社から勧請されたという諏訪神社が祀ってあります。
信州には吟醸酒づくりに長けた杜氏の長い歴史があります。越後(新潟)には、同じく連綿と受け継がれた越後杜氏の技術と、良質な水、豊富な米がありました。われわれの祖先は、二つの地の風土をかけあわせ、唯一無二の酒をつくりあげてきました。
わたしたちの造る日本酒は、和食はもちろん、洋食や中華など幅広い料理とも相性が良いお酒です。先代のしなやかな姿勢を継ぎ、時代や国といったさまざまな境を越えて、日本酒という美しい文化をひろく伝えていきたいと考えています。